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兵団司令部位置の目印は、この二本のヤシの木と言われてます。
しかし、現在では案内標が設置されており迷わない筈ですし、
当時からこのヤシがあったかどうか詳細は不明です。
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壕の道標
「司令部」と聞いて目立つ場所の大きな壕を想像する方もいらっしゃるでしょうが、
実際は敵から発見されにくいように、奥まった人気のない寂しい場所にあります。
この道標、台座が硫黄島の形をしています。摺鉢山の部分には登山道なんかもあったりして。
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壕入り口にある観音様
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入り口近くの慰霊碑
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兵団司令部壕はカモフラージュと思われる入り口が2つありました。
片方は立入禁止になっていました。 |
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司令部壕入り口
栗林中将が執務していた司令部壕への下り階段です。
この階段は大人が屈まないと降りられないほど狭いです。
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その先もアメリカ軍を容易に侵入させないため極端に狭くなっています。
もう匍匐しないと進めないくらい小さな入口です。
更にはこの壕、コンクリートを使い防御力を強固にしております。
栗林中将はこの壕の奥で訣別電を大本営に打った後、総攻撃を行ったと言われています。
この二枚の撮影:T氏 |
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栗林中将の執務室。
映画の中のように机を何個も置いて、
ゆっくりとタバコが吸えるスペースなどありません。
多分、ベッドと机を1個づつ置けばもういっぱいでしょう。
こんなに暗くて狭いところで戦闘指揮を取られていた栗林中将、
さぞかし難儀されたと心中お察し致します。
それにしても小粒の砂利とコンクリートでガッチリ固めてあるのは
この壕が重要だった事の証明です。
でもこの時代に地下工事でコンクリートの型枠流し込みとか
どうやったんだろう・・・。
本当に日本兵の活力には驚かされるばかりです。 |
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兵団司令部壕の地図です。
左下の「天井低い」と書いてある部分が先ほどの場所で、
そこから閣下の執務室を通り、天井の高い天然壕へと続きます。
天然壕は広く、大人2,30人はいっぺんに立てるのではないでしょうか?
映画で天皇陛下万歳のシーンが有りますが、
この天然壕の広さならあれは可能です。
画像はクリックすると大きな画面にリンクします。
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天然壕にこんなものが置いてありました。
説明通りの濾過器です。日本の技術力は優秀ですね。
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