千田壕

ここ玉名山あたりは硫黄島の戦いの中盤戦の激戦地でした。
歩兵の専門家と言われた千田貞季(せんださだすえ)中将の守備地区でもあり米軍はかなり手こずったそうです。
数値だけ見ると硫黄島の戦いの中で米軍の戦死傷者の約半分がこの地域で犠牲になっています。

よって混成第二旅団長の旅団長の名前から「千田壕」と呼ばれています。
内部の写真は凄まじい熱気と湿度でレンズが曇り、残念ながら撮れませんでした。

GoogleMapによる航空写真

この辺り一帯「千田が丘」と呼ばれています。
入り口のマンホール。
ここから10メートルくらい降りてから横へ進みます。

入壕中はこのような安全柵が立てられます。
酸素も薄い
(というか硫化水素ガスの濃度が高い)
ので少々危険でもあります。


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