2016-11-30(水)成増〜白子宿探訪
晴れ 最高気温12℃ 北北東の風2m 湿度57%


撮影データ:PENTAX K-S2+DA17-70mm f4で撮影。
画像はクリックで拡大します。

どーも、良斉です。
45年ほど前、祖父が和光市白子に住んでいました。
当時幼稚園児だった私は白子宿の存在など知らずに過ごしていました。
今ではだいぶ雰囲気も変わり、宿場町だった面影は殆どありませんが、
残っている建物等を撮影してきました。
まずは東上線の成増駅からスタート。

 
成増駅前のロータリー。左が昭和46年。右が平成28年。比較対照になるのは横断歩道位ですかねぇ。

成増といえばモスバーガー1号店。当時「新しいハンバーガー屋が出来たぞ」と良く食べに行きました。
 

さて今日は江戸時代の川越街道を通って行きたいと思います。
現在の川越街道と旧川越街道は当時は無く、下の画像にある赤線が当時の川越街道でした。

[クリックで拡大]


成増商店街を抜けたところの交差点。かつての川越街道はここからセブンイレブンの前を通って左側、
銀の車が停まっている方へ行くのです。
余談ですが昔、このセブンイレブンの場所にはキャバレーがありました。



川越街道を横目にこの道幅の狭い平坦な道路こそ当時の「川越街道」だったのです。



これは現在の川越街道を池袋から川越方面に撮影したものですが、
当時の誰も川越街道がこんなに広くなるとは想像できなかったでしょう。

道幅の狭い元祖川越街道を歩いて行くと急坂に出会います。
これが新田坂と言って白子宿と双璧を成す新田宿の入り口でもありました。
現在では新田宿入り口の八坂神社付近に有ったであろう常夜灯と道祖神、由来の分からない石像などが祀ってあります。
 

 

新田坂と白子宿入り口に神社があります。その名も八坂神社。
先程のの常夜灯もこの神社の入り口付近に立っていたようです。

  

八坂神社から右側の細い道が新田宿、その先の白子橋を渡れば白子宿です。
写真は現在の新田宿。残念ながら宿場町の面影は残っていませんが、所々に旧家が残っています。
 


左写真は昭和30年台の新田宿から白子橋方面を望みます。右写真はほぼ同位置からの現在を撮影。
 

そしてこれは白子橋。新田宿と白子宿の境界線でもありました。
当時、作家の大石真や詩人の清水かつらが橋のすぐ近くに住んでいました。



当時、東京1汚い川と言われていた白子川でしたが、現在は環境保全運動のお陰で透明な水質まで回復しております。
確かに私の幼稚園の頃の記憶では白子川の水はエメラルドグリーンでしたからね(悪い意味で濁っていた)。
匂いも下水道特有の腐った匂いが漂っていましたっけね。


昭和50年頃の白子橋からの風景と現在の白子橋からの風景。
 

白子橋のたもとにある西谷医院さん。当時何回か通院しました。
この病院、名前こそ違えど宿場町時代から病院のままなのです。


さらにすごいのは江戸時代の地図を見てもこの床屋さんは存在します。
建物は昭和に立て替えてるでしょうが、創業100年以上の床屋さんです。
 

他にも昭和中期から残っている建物は見受けられます。
 建物左側の門がすごい。

こちらは昭和中期の白子坂下交差点の写真。右側は現在の写真。
郵便局、富澤薬局が健在です。残念ながら山口モーターはマンションになっています。
 

こちらは大坂途中にある富澤地所管理の旧家。
当時は佐和屋と言う名前で雑貨屋を営んでいたそうです。
 

この辺りも旧家が点在します。
  

こちらも白子坂下交差点を別角度から撮った昭和40年代と現在の写真です。
 

また、この白子宿は湧き水も豊富な地域でして、宿場町として発展した理由でもあろうかと思われます。
現在飲用には適していませんが、ちょっとしたビオトープの様な形で保存されております。



 

すぐ近くに熊野神社がありますが、その隣りの白子コミュニティーセンターでは当時の白子宿に関する展示がされています。




当時の白子宿が模型で再現されています。



白子坂下交差点です。富澤薬局、佐和屋が確認できます。



白子橋付近。大石真と清水かつらの家が確認できます。

当時の地図がありました。高解像度でアップしてありますのでクリックして色々と確認できます。


白子坂下交差点近くに老舗の魚屋さんがあります。その名も「魚くめ」さん。
先程の模型にも確認できる店舗なため、昭和初期から営業していると思われます。



ちなみに私が幼稚園児だった頃は、左のレンガ風の建物は藁葺き屋根で、
「ほねつぎ」と書かれた接骨院が入って居たのを覚えています。



二階の手すりもホゾで組み合わせています。




もちろん店舗脇には湧き水が。



白子坂下交差点から和光市方面を臨みます。昔の地図にこの川越旧道は載っていませんので、
おそらく奥の切り通しは無く、ひとつの山だったのでしょう。
その頃にタイムスリップしてみたいものですなぁ。

これで白子宿の旅は終わりますが、当時を偲びつつ散歩するのも中々楽しいですよ。
地元の朝霞にも膝折宿がありましたが、それらしき建造物が殆ど残っていないので今一興味が湧かないです(泣)。

参考記事:和光市、街の景観変遷



長文お付き合い頂きありがとうございました。
次回の撮影記もお楽しみに。


撮影記トップに戻る→

総合トップに戻る→