2008/08/02)天候曇り 旅行初日

いよいよ、出発の日になる。一時はどうなるかと思われた体調は、ここに至って万全だ。
東京駅18:03発の寝台特急「富士」号なので入線時間の17:21に合わせて駅へ向かう。
今の九州行きブルトレには食堂車は無いので、乗車前に飲食物を買い込んでおくのがセオリーだ。
早速東京駅の売店街を模索する。崎陽軒のシュウマイ弁当が有名だが、それ以外にも何か無いかなと散策してみる。
週末ともあって、とても賑やかな地下街だ。

東京駅、夕方の地下街。様々な店舗が並んでいる。

結局目新しい物も無く、定番の崎陽軒シュウマイ弁当と横浜チャーハンを購入。
それと、翌朝の朝食(コンビニおにぎり、菓子、飲料等)も購入。田舎への土産はこれまた定番の「東京ばな奈」。
なぜ「奈」の字なのかは不明だ。

10番ホームにちょっと早めの17:00頃に到着。まだこの列車の乗客や鉄道ファンは見当たらない。
必要なカットは今の内に撮影しておこうとあちこちを物色。いずれは無くなるであろう九州ブルトレ関連のカットだ。

10番ホームの時刻表。2008/03/14まで
ここに「銀河」も掲載されていた。
電光掲示板に映し出される時刻表。
とても鮮やかで満足だ。
この表示板もいずれ取り外されて
しまうのだろうか。
後貼りの「富士」が何とも悲しい。

17:21、EF66 53に牽かれた青い列車が入線してくる。子供達の目が輝いている。何か特別な物でも見る様だ。
そう、この列車は特別なのだよ。お父さんが昔、散々追いかけ回した列車なのだから。
EF66の機械的な轟音と、それを真剣な眼差しで食い入る様に見ている子供達。
娘は与えられたばかりのデジカメで盛んにシャッターを切っている。
その情景に思わず鳥肌が立ち、涙しそうになった。当時の自分とフラッシュバックしたのだ。
あの日、あの時・・・そう、東京駅で青い列車をカメラ片手に追いかけていた頃の自分が語りかけてきた。
「いつかは乗ってやるぞと思っていたけど、今日やっと乗れるんだね」
「あぁ・・・」。言葉もなく何かを噛み締めるような今の自分。
隣のホームには最新型の新幹線が待機しているが、眼中に入り込む余地はない。この列車がNo.1だ。

入線直後の10番ホーム。
一番ワクワクする時でもある。
寝台特急券。
11番、12番の上下を家族で共有。


さて今夜の寝床でもある寝台車だが、我々の乗る10号車はオハネ15-1。銀帯のトップナンバーだ。
全検も2008-01にされており、老朽化はしているものの、好感が持てる。

オハネ15-1
トップナンバーがちょっぴり嬉しい。
「富士」は大分行き。
熊本行きの「はやぶさ」と併結だ。
10号車の禁煙表示板。
悲しいくらい汚れている。
外して磨きたいくらいだ。
全検平成20-1
テールマーク「富士」。この画像を
撮影した頃には、いつの間にかホームが
鉄道ファンで溢れていました。
昭和53年製造。
今年で30年目です。今までに色々な人の
夢や希望を乗せてきました。

さて、ある程度撮影が終わったら早速乗車だ。狭い折りたたみ式の乗車口を通り、
自分の席番を探すときは、なぜこうもドキドキしてしまうんだろう。
お目当ての区画に潜り込み、荷物を整理して一息つく。座席として使う寝台はかなりの余裕があり、とても贅沢だ。

初めての寝台列車に子供達は大興奮。上へ下へとアスレチックの様に移動しまくりでした。
真面目な話、こんなにも楽しい列車が無くなってしまうなんて、とても淋しいなぁと実感しました。

この日の列車は「はやぶさ・富士」共に、夏休み・週末と言うことも手伝ってほぼ満席。
両隣の開放Bもファミリーだ。写真を撮ったりゲームをしたりとワイワイムードが伝わってくる。
平日にはガラガラの開放Bだが、今日はブルトレ全盛期の様に盛り上がっている。
このままだと就寝時間と起床時間の洗面台とトイレの混雑は目に見えているが、それがまた楽しい。

もちろん鉄道ファンの乗客も健在で、カメラ片手に列車の前へ後ろへと落ち着かない(笑)
また、片手にメモ帳を持った小学生くらいの鉄道ファンは何かを細かくメモしている。
車両形式とか寝台の柄とか、覗き見すると本当に事細かく記している。関心関心。

小さい子供には通路側の補助椅子が大人気だ。補助椅子の前で靴を脱ぎ、ずーっと外を見ている我が息子。
君が物心付く頃にはこの列車は無くなって居るんだね、記憶には残らないと思うけど、好きなだけ楽しんで良いよ。

2008-08-02の出発前、サイバーステーションによる座席照会。

そうこうしている内に、出発の18:03になる。ガツンといった衝撃と共に列車はゆっくり加速し始める。
機関車+客車の独特の衝撃と加速感だ。
いよいよブルトレが動き出したのだ。昔の自分なら映画「銀河鉄道999」の挿入歌「Taking off」でも口ずさみそうだが、
今の自分なら来生たかお氏の「夢の途中」と言ったところか。
♪「さよならは別れの言葉じゃなくて~」というフレーズが今のブルトレにピッタリな気がした。

おっと、車内放送を録音しないといけない。
録音機(オリンパスのボイストレックV-41です)をスピーカーの近くに持って行き、スタンバイしようと構えた瞬間放送が始まってしまった。
この時録音した内容はこちら(57秒)

とりあえず、次の放送が横浜を発車してからと言う事が分かったので、それまでくつろぐ。
子供達は相変わらずアスレチックだ(笑)
そうこうしている内に横浜に到着。発車の頃を見計らってスピーカー前にスタンバイ。
おぉっ! 今度は入りのタイミングが分からずに冒頭のメロディを切っちゃった。
そのとき録音したのがこちら(5分07秒)。これではこの先の放送録音が思いやられるなぁ・・・。

さてしばらくは放送がないので腹ごしらえといくか。子供達はさっきからスナック菓子をバリバリとやっている。
まずは東京駅で買ったシュウマイ弁当&横浜チャーハン。
お父さんとお母さんはお茶で(私は酒は飲まないし、タバコも吸わないんです)、子供達は子供ビールで乾杯!
私が家族を持つようになってから最初の寝台列車にも乾杯だ。

「そうそう、わざわざ瓶の子供ビールを買ったのには理由があるんだよ。実はここに栓抜きが付いていて・・」
と窓際のテーブルの下に付いているレトロな栓抜きを指してみる。
記念だからと娘に瓶の栓を開けさせてみる。やはりコツが分からない様で上手くいかない。
「引っかけたら、弧を描くように引き上げればいいのさ」とアドバイスすると「ポン!」と栓が抜けた。
貴重な体験をした子供は目が輝いている。親から見れば簡単な事だが、この列車、子供達には真柄宝島の様らしい。
かく言う私も、この「寝台列車万歳」な時間に感謝しつつ酔い痴れるのであった。

開放B寝台、窓際のテーブルの下に付いている栓抜き。付いている以上、使ってやらないと栓抜きに失礼だ。

車窓を眺めながらのシュウマイ弁当。食べながら色々な想い出が蘇ってくる。

あっという間に時計の針も21時を回ってしまった。実は浮かれすぎて、21時頃の「お休み放送」を録り逃してしまったのだ。
自分なりに反省はしているが、もはや通り過ぎてしまった時間は帰ってこない。失敗した・・・。


車内の照明が減光されると、周りの寝台からもさりげなく「雑音」が消えていく。いよいよ「蒼い流れ星」の時間になるのだ。
妻と子供達は早々と就寝している。
自分もしばらくは流れていく外の灯りを色々な回想と共に眺めていた。
夜行列車の「夜」の車窓は人生を考えるには絶好の場所だ。私はなぜか過去の事ばかり思い出してしまい、
この先の人生に不安を感じる時がある。もう少しポジティブにならないとな。

自分の進んできた道、様々な人との出会いと別れ、そして時折聞こえる機関車の甲高い汽笛。
カタタン、コトン。カタタン、コトン。ポイントや鉄橋の時に特徴的になる走行音や、
心地良く刻まれる台車のリズムに包まれながら、辺りはすっかり真っ暗になっていた。
流れゆく街の灯りを眺めているうちに、自分の心が「素」になり、理由の分からない温かい水滴が頬を伝って落ちた。
こんな旅情に満たされた移動手段が他にあるだろうか。まさに夜行列車の醍醐味と言えるだろう。

私はいつの間にか深い眠りについて、明日の行動を夢見ていた。豊橋あたりの事だろうと思う。
気が付いたとき、列車は広島に到着していた。

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