2012-10-03(水)東武熊谷線の廃線跡を巡る旅
熊谷:曇り 最高気温24℃ 南の風3m 湿度66%

PENTAX K200D+FA28mm-70mm f4で撮影。画像はクリックで拡大します。

かつて埼玉県の熊谷から妻沼(めぬま)まで「東武熊谷線」と言う路線が存在しました。
現在の東武鉄道グループからは想像もつかないほどのローカル線で、東武鉄道唯一のディゼルカーでした。

当時から基本的に単行のキハで運行されており、鉄道ファンからは常に熱い視線が注がれていました。
もちろん私もヒロキ氏やK氏と、当時は撮影に足を運びました。

当時の模様:撮影記01 撮影記02

その後、乗降客の低迷やモータリゼーションの普及に伴い、1983(昭和58年)に廃線となりました。
元々住民の要望で開通した路線ではないので大した反対運動も無く、ひっそりと終末を迎えました。
ただ2012年現在もその遺構は残っていて(なぜか東武鉄道が土地を所有したまま)

当時を振り返るには十分な材料が揃っているため出撃と相成りました。

JRで行けば安価ですが、今日は敢えて東上線+秩父鉄道で熊谷入りしました。
 下りの始発を待つ朝霞台駅。

 小川町で寄居行きに乗り換え。

寄居駅で秩父鉄道の列車を待ちます。今日はホームのそば屋は臨時休業。
朝食にあのうどんを食べられるかと淡い期待を持っていたのですが残念でした。

やがて列車がやってきました。秩父鉄道の6000系です。
元西武鉄道の101系を強引に魔改造した車両です。主な改造点として、
・ロングシートからクロスシートに。
・中間のドアを撤去して窓に改造 等々、これだけでも新型車両を造った方が安くなりそうな気がします。
 魔改造6000系車内。急行は「有料」です。
とりあえずリクライニングのシートに座り熊谷を目指します。
お~、なかなか快適なシートだ。同じ料金ならこういう車両の方が楽しいよね。

急行なので熊谷までの停車駅は3つ。なのであっという間に熊谷に到着。
列車を降りて、改札を出るときに壁面の注意書きを見て気がついたのですが、
「急行は乗車券の他に急行券大人(200円)小人(100円)が必要になります」と書いてありました。
「・・・あれ?、俺払ってないぞ。車内検札も清算も無かったし、今更自己申告ってどうなのよ」
と、払わずに出てしまいました(笑)。秩父鉄道さんこれ読んでたら連絡下さい、寄居まで払いに行きます(汗)。

しかしなぁ、ワンマン列車で別券が必要な列車ってどうなの?車内回収も出来ないし、
寄居から乗った人もそれらしき人はいなかったぞ。う~む。
熊谷駅5番線に立ちます。かつて熊谷線のキハが停留していたホームです。現在は秩父鉄道のホームとして使われています。


 反対側の引き込み線には旧国鉄の101系が! おじさん世代は「総武線」だと思っちゃいますか?


さて、熊谷から妻沼までの足ですが、いかんせんバスの本数が少ない。
元々廃線跡を散策するつもりなので、本数の少ないバスは眼中に無く、小廻りの効かないレンタカーもパスです。
そこで駅前の貸し自転車、4時間までなら250円とお財布にも環境にも優しい移動手段です。
  

それにしても微妙にボロい自転車です。フレームとかカゴが何かガタガタしているぞ。
ギアも無いしブレーキも甘め。至ってシンプルなママチャリですな。まあ、妻沼までの道は平坦ですからこれでも良いやね。
線路沿いにチャリで走ります。最初の踏切で熊谷線の遺構を見つけました。

 熊谷線の線路が途中で途切れています。右は秩父鉄道、左は高崎線、右上は上越新幹線です。

線路沿いに進んで行くとこれまた奇妙な物を発見してしまいました。
  
昔、秩父鉄道で使用されていたクハニ(形式番号不明)と国鉄型貨車のワムですね。
こんな形で使用されていたとは驚きです。

上熊谷駅に到着。
上熊谷駅脇の踏切より。
以前、ホームの手前側は熊谷線のホームでした。
廃線になってからはフェンスが張ってあります。
上熊谷駅の運賃表。
項目の中に熊谷線の表記が残っています。
危険物は分りますが「死体」「暖炉」って
持ち込む方が難しいのでは?
上熊谷駅の脇の踏切より。
熊谷線の線路は錆び付いたままです。
長い年月を経て、土に還るのでしょうか?

上熊谷駅を過ぎた辺りから住宅街へと入って行きます。
現在、熊谷線跡地は「かめのみち」と称され、住宅棟に挟まれるように公園の様な遊歩道になっています。
なぜ「かめ」なのかと言いますと、熊谷線は蒸気機関車時代は非常に速度が遅く「かめ号」と呼ばれていました
(10Kmを24分もかかり平均速度は約41Km/h(駅の停車時間は計算に入れていません))
そこに新型気動車(蒸気機関車より若干早く10Kmを17分で走破した(平均速度は約58Km/h))が導入されまして、その時に付いたあだ名が「特急かめ号」。
しかし、当時押し寄せていたモータリゼーションよりはやはり遅く、いつの間にか「特急」が取れてしまい、
結局は「かめ号」に戻ってしまいました。その愛称を頂いて現在は「かめのみち」となっております。
 現在の上熊谷駅周辺地図。オレンジ色のラインが熊谷線跡です。

綺麗に整備されている熊谷線跡。
おや?遠くの建造物は・・・
キハ2000を象ったコンクリのオブジェがです。
形は若干違いますが、
マニア心をくすぐる出来栄えです。
反対側より。
中は休憩所の様ですが、かなり荒れています。
現在は施錠されていて入る事は出来ません。


しばらく進むと高崎線との交差部分で「かめのみち」は一旦途切れます。
かつてはこの場所で高崎線と熊谷線が交差していました。
 現在の交差部分。画面下が高崎線の軌道。熊谷線の盛り土はもっと高かったはずです。

 当時の交差部分の写真。やはり盛り土は相当の高さになっています。

妻沼目指してかめのみちをチャリで進みます。砂利道で若干走り辛いのと、安物のサドルで少々臀部が痛いです。
 砂利道になっている熊谷線跡地「かめのみち」。終点の妻沼まで約10Km。

 
大幡駅であったと思われる場所。17号線バイパスとの交差部分だったと思うのですが、
あれから30年。もはや跡形も無い様です(右の写真の中央、鉄道柵らしきものがあるのですが・・・)


広大な畑の中を進む路線跡。今、このような場所を単行のキハが走る路線があったらマニアの注目は間違いないでしょう。
お金が腐る程余っていたら道楽でここに鉄路を敷いてみたいですなぁ。

 かめの砂利道もここでお終い。ここからの路線跡は国道341号線と平行して走っている舗装道路となります。

 
所々の路肩にそれらしき「跡」や「名称」が見受けられます。判断は難しいですが・・。

 秋のサイクリング。

自転車で走る事1時間半。終点の妻沼駅跡地に到着です。
 現在の妻沼付近の地図。だいぶ開発が進んでいます。

  
妻沼駅跡地。現在は熊谷からのバス停留所があります。駅舎跡は更地になり、当時を偲ばせる物は下地のコンクリートのみです。

 売り主が東武鉄道と言うことは、30年余も売り地のままなようです。

 妻沼駅跡地手前の盛り土。この辺りがホームだったと思うのですが、奥のデカい木には何となく見覚えがあります。

そして本日の大目玉、ここのすぐ近く「妻沼展示館」には当時走っていたキハが静態保存されています。
実に30年ぶりの再会です。懐かしいなぁ、でもこんなに小さかったかな?

当時は3両あったキハですが、
もはやこの1両しか残っていません。
囲い付きの場所で大事に保管されています。
反対側より。
皮肉にも廃線の4ヶ月前に車検を済ませてます。
さすがに経年劣化は否めませんな。
以前は開放でしたがイタズラが多いため
施錠してありますが、展示館の方に
申し出れば車内見学は可です。
キハ2000内部。
幼稚園バスの様な背もたれの低い
小さなシートが並んでいます。
ちなみに「電車」ではない。が、
一般的にはしょうがないですね。
レールバスなので運転席の脇が特等席。
子供に大人気の席です。
運転席周りを。
スピードメーターが電流計みたいですな。
昭和29年製。もはや文化財並み。
可愛らしいクロスシート
吊り革、ベンチレーターの吸気口、蛍光灯。
渋すぎる荷物棚周り。
非常弁
車内に展示してある昔の写真。
これは熊谷線最終日の妻沼駅です。
妻沼駅にて。
塗装が初期形の東武ツートン。
蒸気時代の並列写真。
昭和29年頃。
キハ2000と記念写真。


熊谷線跡とキハ2000を満喫して帰路に就きますが、やはりここまで来たら何か妻沼名物(B級グルメ可)を食さないとね。
ネットで調べた所「妻沼いなり」なる大きないなり鮨がある事が判明しております。
 「妻沼いなり」は展示館近くのヨークマートで購入。

 長いのが「妻沼いなり」の特徴。15センチくらいあります。

お味の方は・・・普通のいなり寿司と余り変わりないかな?
まあ、長さが特徴的という事で収めましょうか。

そろそろ帰路に就きます。
途中、17号線と交わる交差点で信号待ちをしていたら、見窄らしい自転車に乗っていたせいか
巡回中のパトカーに職務質問を受けてしまいました。そんなに怪しかったかなぁ(笑)。

熊谷駅で自転車を返却して、駅に戻ります。
帰りは熊谷~寄居~越生~坂戸~朝霞台の経路でした。
途中越生でヒロキ氏の店に寄り雑談。今さっき撮ったデータを1枚プリントアウト。
綺麗な業務用プリンター。満足満足。

 おお、いにしえの武蔵野線・・・ではなくて秩父鉄道1000系です。熊谷駅にて。

 寄居駅から八高線。いつも誰かが座っているシングルクロスシート。

30年ぶりに級友と再会した様な感覚でとても満足でした。
機会があったらまた再訪したいと思います

お終い


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